blog

お知らせ

2025/09/18 07:44 ~ なし

西巻朋俊を紹介

西巻朋俊を紹介

おはようございます。毎日、暑い日が続きますが熱中症だけは気を付けてくださいね。
それでは、本題に。私は昭和44年2月10日の月曜日明け方の午前6時に大阪府大阪市此花区で生まれました。父は俊樹、故母親は智恵子。何の変哲もない会社員の長男です。血液型AB型ありがたいことに私はみずがめ座です。妹が2人います。3人兄弟ですがなぜか3人とも同じ高校を卒業しています。
私は小学2年生の頃、隣に大きな家があり庭も広くそこのご主人にお願いして虫取りをしていました。すると、そのご主人が『君は大きくなったら何になりたいの?』と私に質問したので私は『人の命を助けたいから医者になりたい。』と言っていました。また、小学6年生の頃に西宮市の武庫川の河川敷で飯盒炊爨をしていた時、橋の下でホームレスをしていた年配の男性にこれをどうぞと焼き鳥の缶詰を差し出しその方は涙を流して『ありがとう。』とおっしゃっていたのを覚えています。
学校では学級委員長を何回かしました。そして、小学校と中学は受験しました。私の父が私が生まれて間もない時、座位で上半身を曲げようとしたら体が硬かったので『コイツは運動は無理だから勉強させよう。』としたらしいです。しかし、小学5年生の冬に私の母は胃がんで亡くなり私はショックで無口になってしまいました。言葉を失ったんですね。もちろん、受験は失敗。公立の中学へ行き私は野球がしたかったので野球部に入りました。高校生になったら甲子園を目指そうと思い外野を志願して肩を強くする努力をしました。そして、念願の高校球児になり投手として努力を続けたのですが右肘を痛めてエースは諦めました。
夏が終わり大学に行きたかったのですが野球ばかりしていて勉強をしなかったので現役合格を諦め浪人し江坂の『代々木ゼミナール』へ通いひたすら私の人生の将来について考えました。自分が何をしたいのか。自問自答を続け勉強もし運動もしてきたので社会で役に立つ自分になる必要がある。だから、もっともっと自分を心身ともに鍛えて強くなろうと努力してきたつもりですがなかなかそうもいかないです。21歳の時『精神分裂病』になり幻覚と幻聴という未知の病を経験しどうすればいいか分からず、『助けて。』としか考えられない日々が数十年続き、小さな頃は『医者になりたい。』と思っていたのに何をしてもダメだ、私は。と奈落の底に落ちた人生を歩んでしかも、社会人になった時には阪神淡路大震災が起き社会の惨状とリンクしているかのように私も壮絶な人生を送ってきたんです。暴行されて『もう死ぬ。ヤバい。なんとか生きたい!』と思ったことが山程あります。でも、44歳の時、寝る前の薬を30個飲み自殺未遂をしたこともあります。でも、なぜか私は奇跡的に今、命があるんです。コロナにもなりました。本当に命からがら生きてきました。それでも、私はチェルノブイリ原発事故以来、地球の未来と人類の未来を考え『救いたい。』その心の底の底にある使命感のようなものは消えません。
去年の8月に『防災デジタルクリエイター』として開業して1年経ちました。もともとフリーランスになりたかったんです。そして、『西巻朋俊』という商品を売りたかったんです。つまり、私は私であり誰でもない。オリジナルと創造性を生かしこれからも心の炎を燃やし続けてみなさまと共に生きて行こうと思っていますので何卒よろしくお願い致します。

カテゴリ

アーカイブ

上へ戻る