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2025/09/20 08:12 ~ なし

関東大震災についての考察

関東大震災についての考察

1923年9月1日正午を迎える直前東京市を震度7クラスの大地震が襲った。死者、行方不明者は約10万人を数える。天を覆う黒煙、炎に包まれる帝都の炎が最終的に消し止められたのは9月3日の午前10時で、実に46時間にわたって東京の街は燃え続けたのです。不運にもこの時、日本には台風が上陸しており9月1日昼の時点で台風は998hPaの温帯低気圧に変わり日本海側を北上していました。また、関東大震災は震源域が相模湾であったため津波による被害も受けました。津波の高さは伊豆大島や静岡県熱海市で最大12m千葉県館山市で9mに達し早いところでは地震発生後わずか5分で津波が上陸しました。そして、大規模土砂災害も発生しました。小田原市にある根府川駅の列車転落事故です。大規模な地滑りによって駅そのものが土石流に飲み込まれ、ホームにいた人々も含めて全てが相模湾の海中に沈んでしまいました。この時、日本を支援した国はアメリカをはじめイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、ベルギー、ユーゴスラビア、メキシコ、キューバ、ペルー、カナダ、インド、タイなどの国です。当時半ば敵対していた中華民国も救援活動を行った国のひとつです。
関東大震災による人口動態の変化は西日本にも影響しました。その代表例が大阪です。1925年に大阪市は人口、面積、工業出荷額において東京市を上回り国内第一位の近代都市に躍り出ました。それが『大大阪時代』と呼ばれた黄金時代です。現在の大阪城天守閣や地下鉄御堂筋線、甲子園球場が誕生したのもこの時代です。こうして、『関東大震災』が日本経済に大改革をもたらします。
このように災害は歴史を大きく動かし世界経済を大きく改革してきたというのは事実です。この、『地震、疫病、飢饉の時代』を乗り越えるには私たちが手を取り合い助け合うことがたいへん重要です。約250年前の『みずがめ座時代』には『アメリカ独立戦争』『フランス革命』『イギリス産業革命』などがありました。そして、今回の『冥王星水瓶座時代』には大きな世界の大改革が行われつつあります。私『防災デジタルクリエイター』としてみなさまの『心の安らぐ居場所』としての『防災』をすすめて参りますのでよろしくお願い致します。

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